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韓国版『琉球・呂宋標海録研究』

漂海




韓国語版『琉球・呂宋漂海録研究』が

韓国の出版社博文社より刊行されました!

※日本語(武蔵野書院)版『琉球・呂宋漂海録の研究』はこちら


  • 詳細説明
    2百年前の琉球・呂宋の民俗・言語
  • 本書『琉球・呂宋漂海録研究』は、「漂海録」と「漂海始末」を中心に考察したものである。「漂海録」は、朝鮮後期の大学者、茶山・丁若鏞が康津に流配されていた当時、特別に目をかけた弟子李綱会が記述した文集『柳菴叢書』に、国内最初だと思われる船舶関連の論文とエイ商人の文淳得が黒山島からエイを載せて戻る途中で強風に遭い、琉球(今の沖縄)と呂宋(今のフィリピン)等を経て漂流した内容が盛られており、全26頁の量の序文・本論・後記から構成されている。
    この論文は、日本・マカオ・中国・フィリピンの船舶の建造法を詳しく記述しており、特に外国の船舶と朝鮮の船舶を比較し、朝鮮の船舶の弱点を鋭く批判している。
  • 韓国語版出版に際して
    まえがき
    第1章 解題及び資料
    第2章 本文影印
    第3章 本文翻刻
    第4章 「漂海始末」「風俗」「宮室」「衣服」「船舶」「土産」の現代語及び注釈・解説
    第5章 「言語」の翻字
    第6章 「言語」「琉球」語の解説
    第7章 「言語」「呂宋」語
    第8章 「言語」「琉球」語の分析
    第9章 「言語」「琉球」語索引
    参考文献
    あとがき
  • <著者>多和田眞一郎<博士(学術)>
    1947年 沖縄(県)生
    70年 静岡大学人文学部卒業
    72年 東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程進学
    73年 延世大学 Korean Language Institute 留学
    78年 東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程退学(単位取得)
    現在 広島大学教授(国際センター、大学院教育学研究科)
    現住所 広島県広島市西区己斐本町3-1-6-812
  • <訳者>趙堈熙
    釜山大学(学士)
    岡山大学(修士)
    広島大学(博士)
    前 日本 四国学院大学講師
    前 順天大学教授
    前 釜山大学日本研究所所長
    現在 釜山大学教授


  • 韓国語版への「まえがき」
  •  かなり以前のことなので、記憶が定かではなくなっているが、1996年のことではなかったかと思う。趙堈煕氏から、本書の韓国語版を出版してはどうかという提案があった。価値ある資料『漂海録』の存在を多くの人に知ってもらうよい機会だと思い、二つ返事で同意した。
     早速、行動を開始した。二人で、韓国で開かれる、日本語・日本文化関連の学会に出席し、そこに訪れる出版関係の人々と会い、出版の可否について相談した。結果的には、実らなかった。時期尚早だったということであろう。
     時は流れ、季節は移り行きといった如くに、時間は経過して行った。韓国語版の刊行など夢にも見なくなった。そして、忘れたころに何かがやって来たのである。
     三十年来の韓国の知己が知らせてきてくれた。2005年2月16日の「朝鮮日報」紙に『漂海録』に関する記事があるという。インターネットで調べてみた。「180年前の『船舶建造論文』発見」という見出しの記事であった。その内容は、あらまし以下のとおりである。
  •  180年余前のある「実学」学者が著述した船舶の建造に関する論文が発掘された。
     全羅南道・新安文化院は16日、「朝鮮後期の大学者、茶山・丁若鏞(1762~1836)が康津に島流しにされていた当時、愛弟子だった李綱会(1789~未詳)が著述した文集『柳菴叢書』に、国内初めてと見られる船舶関連の論文『雲谷船説』を確認した」と伝えた。
     文化院は、新安郡・牛耳島に暮らしていた文彩玉(75)さんが所蔵してきた『柳菴叢書』など文集2冊を受け取り、現代語訳している最中、この言葉を発見したと紹介した。
     李綱会は丁若鏞が島流しの刑を終え漢陽に向かうと、師の兄である丁若銓(1758~1816)が島流しの生活をしている最中に死亡した牛耳島に渡り、2人の兄弟の学問的成果を継承することに協力した人物とされている。
     李綱会が残した2冊の文集は、これまで子孫によって所蔵されてきたが、今回やっと日の目を見ることになった。
     計26ページの分量の序文、本論、後書きで構成されたこの論文は、日本、マカオ、中国、フィリピンの船舶の建造法を詳しく記述している。特に、外国の船舶と朝鮮の船舶との比較、朝鮮の船舶の弱点を鋭く批判している。
     新安文化院の崔誠桓事務局長は「専門家に諮問を求めた結果、『雲谷船説』は船舶の建造に関する国内初の論文と見られる」とし、「文章の中に国家経済と民生の力になろうとする著者の情熱が感じられ、当時の実学の発展過程を理解するための重要な資料となると思われる」と話した。
  •  この記事を見て、まず感じたのは、知識の継承が如何に難しいことかということであった。
     朝鮮日報社『月刊 朝鮮』1980年12月号と81年6月号とに、『漂海録』の紹介、そして牛耳島の民俗・歴史等に関する特集記事がある。それにも拘らず、知識の継承が滞ったために、その25年後に「発掘され」「やっと日の目を見る」ことになってしまったと考えられるからである。
     『漂海録』に関し、曲がりなりにも研究書のようなものを出している者として責任らしきものを感じた。韓国語版の出版を断念してしまったことが悔やまれた。何かしなければならないと思った。
     知人を介して、新安文化院発行の一連の資料『柳菴叢書』、『雲谷雑木著 巻之一』、『雲谷雑木著 ママ券二』を入手した(2007年8月初め)。 (「木著」で一字)
     これらにより、当時限られた資料しかなく、私が「李~~」としか判断できなかった「柳菴」が「李綱会」であることが解明されており、その人物についても知識を深めることができ、研究が前進したと感じたが、「漂流始末」の内容についての「注釈・解説」に関しては、多和田(1994)(即ち、本書)のほうが詳しく、「言語」については「注釈・解説」さえもないことを知った。実際に「調査」する必要を感じた。
     2007年8月下旬に、新安文化院を訪れた。(92年の牛耳島調査の時と同様、成洛秀韓国教員大学教授に同行願った。)その前に、本書を(新安文化院に)郵送・寄贈してあった。崔誠桓事務局長と情報交換をする過程で、「本書の存在は後になって知ったので、資料刊行の際には参照できなかった、また、日本語版であることが少し難点にもなる」ということを知った。韓国語版の出版の必要性を痛感した。
     そして、話は、KBSで2009年8月8日(土)(20:00~21:00)に放映された番組「역사스페셜」「조선시대 홍어장수 표류기 – 세상을 바꾸다 - 」につながることになる。詳しい経緯は省略するが、沖縄取材に関して、現地コーディネーター・出演者として協力し、取材スタッフが、前述の成洛秀教授から、本書を借用したということを聞いた。しかし、それにしては本書の内容が取材に余り活かされていないように感じた。取材方針でそのようになったのかもしれないが、本書の内容を考慮すれば、もう少し違った観点からの取材が可能だったのではないかと思いながら、日本語版であることが隘路になったらしいことも感じた。いよいよもって韓国語版の出版が要請される状況になってきた。
     上記のような事情もあって、韓国語版を出すに当って、校正ミスのような、明らかな誤り以外は手を加えず、1994年版のままとすることを基本とした。当時の研究レベルを提示し、次へと継承されることを願ってのことである。それ故に、「柳菴」に関しても、研究が進み、人物が特定できているということを踏まえたうえで、当時の「未詳」を修正しなかった。「柳菴」が「李綱会」であることで、「言語」の分析に影響が出ることはないと判断したことにもよる。
     公私共に忙しい趙堈煕氏が、知識の継承、学問の発展のために献身的に翻訳を進行してくれたお陰で、このように結実をみた。感謝の言葉を申し述べたい。また、本書の価値を認め、出版を快諾頂いた、博文社社長にも感謝申し上げたい。
  • 2010年9月11日
    多和田 眞一郎







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